本のある毎日

徒然なるままに、書物に向かいて…

八月納涼歌舞伎『狐花 葉不見冥府路行(きつねばなはもみずにあのよのみちゆき)』行ってまいりました!

行ってまいりました!

ネットニュースで見た時からずっと楽しみにしていた「京極夏彦×歌舞伎」の熱すぎるタッグ。

チケット取ろうとしたら既に3等席、4等席は完売で、ちょっと値は張るが2等席!と思ったらそっちも売り切れる直前で。最終的には無事取ることができたけど、多くの人が今回の上演を楽しみにしていたのが分かって嬉しかった。

初・歌舞伎座!

入った瞬間からもう非日常感がすごい。外から見るより洋風で、ちょっと意外な感じがした。滅多に行かないところだから開演前になかを散策してみたけど楽しすぎる。売店も魅力的だったけど、現金の手持ちがなかったので今回は諦めた(泣)

拍子木が鳴らされて開演。

音楽から演出からもう最高。京極先生の作品の世界観が見事に表現されていて、時間を忘れて見入ってしまった。小説の描写を反映しながらも、舞台ならではの演出が盛りだくさんで本当に素晴らしかった。個人的に好きなのは最後の彼岸花の演出だけど…見てない方のためにも詳しくは書かないでおこう(悔)

かなり遅い時刻だったけど、夜に浮かぶ歌舞伎座もすごく幻想的。惜しいのは、一人で来てしまったからこの感動を誰とも共有できないこと!

願わくば誰かともう一回、とも思うけど、この人気振りだと難しいかな…(泣)

宮部みゆき『よって件のごとし 三島屋変調百物語八之続』【感想】

6~7月のレポート祭りもようやく一息ついた。課題に追われて本が読めない日が続いた。

これまでのんびりしていたツケが回ってきたということだろうか。ここに来てようやく大学生らしいことをしている気がする。学部によってはもっと忙しい人もいるそうだから、この程度でグチを言っていたら怒られるかもしれないが。

とりあえず一通りの課題を片付けて最初に手を出したのが、買ってしばらく手が出せず、読むのを楽しみにしていたこのシリーズ。

神田の袋物屋「三島屋」の「黒白の間」では奇妙な百物語会が行われている。一度に話すことができるのは一人だけ。語り手は必要があれば身分や姓名を明かさなくていいし、聞き手は聞いた話を決して外には漏らさない。聞いて聞き捨て、語って語り捨て。今日もまた一人、語り手が「黒白の間」を訪れる。

今回のお話はスリル満点の表題作と、可愛らしさと寂寥感が胸を打つ『賽子と虻』、妖と恋をした哀しい男を描いた『土鍋女房』の三作。ページをめくる手が止まらない。短編ながら読み応えたっぷりの一冊だった。

しかし本を読んでばかりもいられない。レポート祭りの後は前期期末試験が待っている。またしばらく本が読めない日が続きそうだ。(ホントはブログを書いてる暇もない?)

 

京極夏彦『姑獲鳥の夏』【感想】

 

私の見ている現実はどうしようもなく不安定だ。眼球はガラス玉じゃないし、ほかの感覚だって「そのまま」知覚している訳じゃない。私のいう現実は、感覚器官から取り込まれた情報を脳が取捨選択をして、意識上に再構成したものだ。

それはちょっと考えればすぐに気づけること。でもそれに気づいた瞬間、現実は砂上の楼閣も同然になる。確固たるものと「信じていた世界」は「信じていたい世界」へとなりはてる。私はそのとき、現実のあまりの脆弱さにただ溜息をつくしかない。

姑獲鳥の夏を読み終わった瞬間がまさにそうだった。

戦後の復興進む昭和27年の梅雨も明けようかという夏。小説家の関口巽は、雑司が谷の産婦人科医院・久遠寺医院に流れる奇妙な噂について調べていた。院長の娘が、二十箇月もの間赤子を妊娠したままで、その夫は密室から煙のように失踪して行方不明だという。関口は、旧友で古本屋の「京極堂」に相談を持ち掛け、さらには探偵の榎木津、刑事の木場らも巻き込むが、そこには予想をはるかに超える真実が待ち受けていた。

陰惨な噂、久遠寺家の呪い、あまりにも信じがたい展開を前に思わず神秘や怪異の存在を肯定しそうになる、肯定したくなるけれど、京極堂は云う。「この世に不思議なことなど何も無いのだよ」と―。

そして物語は衝撃のラストまでノンストップで一気に進む。読了後には、遣る瀬無さと世界への不信感が残るが、しかし同時に夏の青空のような爽やかさも待っている。

ジャンルとしては民俗学を題材にした本格ミステリだ。でも読んでいる最中の現実と幻想を行き来するようなあの感覚は、普通のミステリでは絶対に味わうことが出来ない。

全編を通して語られる民俗学、宗教学、物理学や認識論などに関する豊富な話題には圧倒される。しかも冒頭から100ページくらい、京極堂と関口が認識と妖怪・姑獲鳥に関する問答を繰り広げて戸惑うのだが、これが猛烈に面白い。そしてこれがただ知識をひけらかしているのではなく、ちゃんと物語を構成する重要な要素となっているのだからすごい。京極夏彦さんの構成力、知識量、難解な話題でも読者が理解できるように書く筆力には感嘆するばかりだ。

また個性的なキャラクターたちも本書の魅力だ。例えば京極堂は、古本屋でありながら家業は神主で、副業で憑き物落としをしているというカオス振り。いつも和装に身を包み、仏頂面で本を読んでいる。普通に生きていたのではまず知り得ないようなことを豊富に知っていて、恐ろしく弁が立つ。(本当は一人一人紹介したいが、未読の方の楽しみを奪ってはいけないので割愛泣)それぞれの人物が作品世界を構成するうえで不可欠な存在だし、読み終わるころにはきっと自分のお気に入りのキャラクターが見つけているはずだ。

京極さんといえば「レンガ本」「鈍器」など、分厚い本の代名詞のように言われているが「姑獲鳥の夏」は比較的薄くかつ、そのボリュームを感じさせないくらい面白いのでとても読みやすい。しかも本書はデビュー作にして「百鬼夜行シリーズ」の第一作目と、京極作品を読んだことがない方にもピッタリの一冊。

本書をきっかけに、ぜひ唯一無二の京極ワールドを楽しんでほしい。

 

はじめに

本の中にはもう一つの世界がある。

形も臭いも音もない。すべては観念の中、想像の中のこと。でもその世界は、読む人次第で現実と同じくらい、あるいはそれ以上の強度を持って立ち現れてくる。ことによっては、同じ人が読んだとしても、その時々で見える世界は全然違ったりする

それは時に未来であり、過去である。外国であり、異世界である。無限に広がる宇宙かもしれないし、顕微鏡レベルの微細なものかもしれない。

カバンの中に一冊の本をしのばせておく。それだけで少し、心浮き立つ。

本の中には新しい知識がある、教養がある、語彙がある。そんな効用が無かったとしても、もう一つの世界を歩いてみるのはすごく楽しい。

ささやかな日々の中に、手のひらサイズの幸せを。今日もまた、「こっちの世界」から少し離れてページを繰っていく。

私の毎日には、いつも本がある。